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菜根譚5「耳中、常に耳に逆うの言を」の原文・現代語訳
菜根譚5「耳中、常に耳に逆うの言を」の原文・現代語訳を記載します。
原文 | 現代語訳 |
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耳中常聞耳之言、心中常拂心之事、纔是德修行的砥石。若言言耳、事事快心、把此生埋在鴆毒中矣。 | 耳中、常に一耳に逆うの言を聞き、心中、常に二心に払るの事ありて、三纔に是れ徳に進み行を修むるの砥石なり。若し言々耳を悦ばし、事々心に快ければ、便ち此の生を把って四鴆毒の中に埋在せん。 |
菜根譚5「耳中、常に耳に逆うの言を」に出てくる言葉の意味
- 耳に逆うの言忠告、諫言。説苑に「良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言は耳に逆えども行に利あり」(正諫)とあるによる。
- 心に払るの事重い通りにならぬこと。孟子に「天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、行うこと、そのなさんとするところに払乱せしむ。心を動かし性を忍ばせ、その能くせざるところを曾益せしむる所以なり」(告子下)とある。
- 纔に是れ(纔是)俗語。それでこそであるの意。
- 鴆毒猛毒。鴆という鳥の羽を酒にひたすと猛毒を生じ、その酒を飲むと忽ち死ぬという。古来、毒薬の代表として有名で、国語に「鴆を酒に寘く」(晉語二)とか、左伝に「宴安は鴆毒なり、懐うべからず」(閔公元年)とか見える。
菜根譚5「耳中、常に耳に逆うの言を」解説
人間は平素、常に耳には聞きづらい忠言を聞き、常に心には思い通りにならぬことがあって、それでこそ徳に進み行を修めるための砥石となる。(これと反対に)、もしどの言葉も耳を喜ばせ、すべての事が心を満足させるようであっては、それではこの人生を鴆毒の中に埋め沈めてしまうことになる。
菜根譚前集(名言・要約)




















































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