菜根譚33「功名富貴の心を」の原文・現代語訳
菜根譚33「功名富貴の心を」の原文・現代語訳を記載します。
原文 | 現代語訳 |
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放得功名富貴之心下、可凡。放得德仁義之心下、纔可入。 | 功名富貴の心を一放ち得下して、便ち凡を脱すべし。二道徳仁義の心を放ち得下して、三纔に聖に入るべし。 |
菜根譚33「功名富貴の心を」に出てくる言葉の意味
- 放ち得下して放下してしまえれば。前集二五に同じ。
- 道徳仁義いわゆる道徳仁義。老子に「上徳は徳とせず、ここを以て徳あり。下徳は徳を失わざらんとす、ここを以て徳なし。故に道を失いて後に徳あり、徳を失いて後に仁あり、仁を失いて後に義あり、義を失いて後に礼あり。それ礼は忠信の薄きにして、乱のはじめなり」(三十八章)とある。
- 纔にそれでこそ初めてである。「便」と対用する例(前集五)。
菜根譚33「功名富貴の心を」解説
功名を立て富貴を願うのは人情であるが、その心を放下してしまえれば、初めて凡俗の域を脱することができる。(功名富貴に捉われては、それ以上に貴いものが人生にあることを見失ってしまうからである)。同様に、道徳仁義の心を放下してしまえれば、それでこそ真に聖人の域に入ることができる。(道徳仁義に捉われては、融通の利かない人間になり、悠々として自適する達人とはなれないからである)。
菜根譚前集(名言・要約)




















































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