菜根譚45「人々に個の大慈悲あり」の原文・現代語訳
菜根譚45「人々に個の大慈悲あり」の原文・現代語訳を記載します。原文 | 現代語訳 |
---|---|
人人個大慈悲、維無二心也。處處種眞趣味、金屋茅簷非兩地也。只是欲封、當面錯、咫尺千里矣。 | 人々に個の大慈悲あり、一維摩・二も二心なきなり。処々に種の三真趣味あり、金屋茅簷も両地にあらざるなり。只だこれ欲い情封じ、四当面に錯過して、五咫尺をして千里ならしむ。 |
菜根譚45「人々に個の大慈悲あり」に出てくる言葉の意味
- 維摩維摩羅詰・毘摩羅詰・維摩詰。架空の人物で、通称、維摩居士といい、在家のまま菩道を行じたという。この維摩居士を中心として戯曲的に大乗仏教の根本思想を説いたものが維摩経三巻である。
- 「」は殺業者、「」は死刑執行人。共に賤業者の代表としていう。
- 真趣味まことの楽しみ。
- 当面に錯過し目前にあやまって。
- 咫尺きわめて近い距離にいう。「咫」は周尺の八寸。
菜根譚45「人々に個の大慈悲あり」解説
貴賤を問わず、どんな人にも、大慈大悲の仏心というものはあるもので、維摩のような大徳の居士も、殺業者や死刑執行人のような賤業の者も同じで、その心に二つはない。また、貧富を問わず、どんな処にも、真のたのしみというものはあるもので、金殿玉楼も茅葺の賤が伏家も、住めば都で、その住居に二つはない。それなのに、かほどの相違が生じてくるのは、ただその心を欲情がさえぎり閉じこめて、目前にちょっとした誤りを犯したがために、ほんのわずかのへだたりを、末には千里のへだたりにしてしまうのである。菜根譚前集(名言・要約)




















































【菜根譚】今日の名言